カテゴリー: capitanの話
17.Capitanの話
此処まで幾つかの岬を超えて来た。
御前崎、潮岬、室戸岬、室戸岬では写真家の添畑薫氏の依頼で、難波誠さんの大好きだったアンパンを岬についたら顕食してくれと依頼があった。
岬を躱わす大波の中でバーさんが用意したアンパンを難波さんに捧げて手を合わせた。
足摺岬、佐多岬、枕崎、開聞岳、岬には何処の岬にもモアイ🗿像のような、巨石が風の当たる方向に並んで立っている。
錦江湾の入り口に立つモアイのような巨石は太古からの岬の佇まいを彷彿とさせる。
人は短い命を如何、燃焼させるのだろうか。
此処を離れたら甑島迄後33マイル。
岬の巌を砕いて来た潮と波に乗って8.4not
今回の航海で最高速度をマーク。
やっと旅情が込み上げる。
明日は天草、不知火の海に
2024/07/10 Capitan溜
16.Capitanの話 八点鐘 実用編
16.Capitanの話 八点鐘
オールドソルト諸氏ならサスペンス映画【八点鐘のなる時《When Eight Bells Toll》】を覚えておいでしょう(1971年英作品)。公開当時、まだ若輩の小生はこのタイトルの響きに胸が躍りました。アンソニーホプキンス版007⁈という当時流行りのアクションスパイもので、まだ未鑑賞の方にはおすすめしますが、今回は映画の内容でなく、タイトルになったship’s bell=ハ点鐘についてが本題です。
八点鐘とは
第一の役割は船のクルーに一斉に時を知らせる合図です。1日24時間を6節に分け、30分ごとに1つずつ鳴らし、当直のサイクルである4時間で一周します。鐘は数えやすいように2回ずつ区切って打ち、奇数の時は最後に1回をつけ加えます。
0時に八点、0時半に一点
1時に二点、1時半に三点
2時に四点、2時半に五点
3時に六点、3時半に七点
そして
4時に八点、4時半に一点…。
これを4時、8時、12時、16時、20時、そして24時(0時)と繰り返しもどります。
逢魔時
16時からは少しややこしい。16時半一点、17時二点、17時半三点、18時四点、ならば18時半は五点…ですよね。しかし海の18時半ともなるとそれは逢魔時。海の魔物達が船を海の底へ引きずり込もうと、5点が鳴るのを今かと待ち構えています。ところが世界中の船乗りは18時半には五点を鳴らさない!。18時半に海に鳴り響くのは1点…魔物たち『1点???まだ早いの?』やがて19時二点、19時半三点、20時四点、20時半は1点を聞いた魔物達は『???、ホイ、シマッタ、寝過ごした!』
世界中の船の八点鐘は今もこのように鳴らされます。魔物達は出ることが出来ずに今夜も海は美しい星空に変わる。本当?Amiに乗りにいらしてください。点鐘を鳴らしながらこの続きをお話ししましょう。
八点鐘にまつわる海のお話。
by Capitan Tamari 2024/02
15. Capitanの話 節分
15.節分 大多福豆を めしたまへ
堀川、今出川の交差点、西北にその菓子屋は在る。この季節の限定焼き菓子、お多福豆を模った「福ハ内」を初めて手に取った時、その可愛さとふくふくとした香りに幸せ感で一杯になった。当時22歳。私は吉川英治の「新平家物語」を夢中で読んでいて、重い単行本の平家第8巻を携えながら京都歩きの最中だった。
升の中にはお多福豆と呼ばれる焼き菓子が八っ並んでいる。その升の掛紙に、
このうまき 大多福豆を めしたまへ よはひをますは 受合申す
とある。文人画家・富岡鉄斎の書である。この掛紙が吉川英治の書と長いこと記憶違いをしていた。物事に被れ易い私は清盛の進歩的な考え方に憧憬し、吉川英治の文体が好きで特に「君よ今昔の感いかに」に魅了されていた。だから吉川英治に違いないと信じていた。
吉川英治が八百年経て、清盛に語りかけるこの句の文学碑がある。
「君よ今昔之感如何」
清盛よ貴方が考えた福原遷都、大和田の泊まりの築港、結局平家を滅ぼす事になってしまったけれど、見てご覧よ、其処は世界に名だたる神戸の港 君よ今昔の感いかに…
と、ここまできて此も勘違い。
この歌碑が神戸港を望む淡路島にあると信じていたが、そうではなくAmiでドキドキしながら何度も通過した音戸大橋を見下ろす高台にあり、大橋を渡った先の倉橋島の清盛塚に向いて立っていた。52年この文学碑を追い求め、22歳の青年は75歳になって居た。
冒頭の福ハ内も淡路島の句碑も当時吉川英治にかぶれて居た22歳の私のなんとも呆れた勘違いだった。しかし、この「お多福豆をめしたまえ」の文体に出逢わなければ、この歌碑の勘違いが無ければ、清盛に問いかける吉川英治の優しさに52年間も胸騒ぐことはなかっただろう。
ああ勘違い、されど勘違い。胸騒ぎよ再び。
2024/02/01
14.Captainの話 「私の船は横山の12」
ヨット好きの人に「何に乗っていますか?」と聞かれる。
「横山の12mです。」と答えると…はて横山でそんな船あったかな〜と首を傾げる。
「一郎さん?」「いえいえ、晃サンです。」…はて、はて。
「元の名は海王です。今はAmiと変わっています。」
「Amiは知っているけど、横山さん?」
手元にある設計図に確かに晃さんの名前とサインがある。
私はオーナー3代目、初代「海王」から「青雲」、「Ami」と続く。
横山氏はその前に500トンのスクーナーの設計をされていたが建造には至っていない。
よって実質的な海王一世は1990年の建造、2024年で34歳に成るAmiだ。
この辺りで少し本格的な手入れをしなければ横山晃さんの想いを伝えていくことが難しくなる。
今はAmiと成った横山の12m、バウスプリット迄入れると52フィート
ビンテージかポンコツかの別れ道に居る。
2023/11/30
Amiからクラウドファンディングのお願い
ご協力お願いいたします。
◆Makuake Amiプロジェクトページ
Captainの話13 冒険の旅
冒険の旅へ出ようと言いながら、いざ航海が始まる時は計画した航海の安全性を重視、冒険性を削り落としてゆく。
長い航海ほど準備の時間をかけるが、天気だけは急変することがままある。
最近は天気予報や風予報も格段に信頼性が上がっているがそれでもエッていうことはある。
Amiの航海はクルー、ゲスト合わせて多くの場合5人から~15人で走ることが多い。
そこで其々都合に合わせたスケジュールを立て航海をして居るのだが、吹き込められて動けない日も出てくる。
こう成ると冒頭に述べた冒険の要素が出てくることになる。
このゲスト、クルーにとって楽しむことが出来る海況かどうか、の判断を迫られる。
思わぬ時間が出来て知らない港街を楽しんだり、仲間との絆が強まったりすることもある。
此れが航海の醍醐味なのだが、都合が付かなくその街で船を離れて行く人も居る。
その時にいつも思う、貴方にとって名残が尽きぬ航海でしたか、冒険心を芽生えさせた旅でしたでしょうか?
マストに掲げた信号旗はUW1。
安全な航海をそして有難う。
2020/11/17 初出